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自分とはなんぞや

自分とはなんぞや?
冬型うつ病にかかり気味のボクちゃん、
例年のごとく香ばしい袋小路に迷い込んだ
「 ここで春を待とう 」
そうやって座り込んだのはFNS歌謡祭のセカオワのテーブルで
おつまみは以外にも柿ピーとウーロン茶だけであった
(モー娘。のバスツアーかよ…)と思った僕は
柿ピーをつかってノイマン予想を解き始めたが
ピエロが助けてほしそうな目でこちらを見るので
やれやれ…と席をたち
日本の音楽シーンから永久に姿を消したのであった

で、休日。 精米にいく
hdrhrっcbっがあ

油断したら突然絶景になる土地です

trtrtrtrっtrtrtっっっっっf


さて、自我とは
客我と主我の対話であると
つまり世間体、常識と本能、子供がディベートしてるってい理論
とてもしっくり来た
以下自分用コピペ

シカゴ学派の強力な理論的源流となったジョージ・H・ミードは心理学者ウィリアム・ジェイムズの概念を受け継いで、自我にはふたつの局面があるとした▼5。ひとつは「客我」(me)、もうひとつは「主我」(I)である。meとIという表現は「知られるわたし」と「知るわたし」に由来する。客我meは、他者の自分に対するイメージや期待をそのまま受けいれた自我の側面である。〈わが内なる社会〉といってよい側面で、ミードはこれを「他者の態度の組織化されたセット」とのべている▼6。
 ところが、人間は他者の態度や期待をそのまま受けいれるロボットではない。かならず客我に対して自然発生的な反応が自我の内部に生じる。ミードはそれを主我と呼ぼうというのだ。反応といっても動物のように単純な「刺激-反応」図式でとらえられるものではない。それだけに主我は複雑な様相をしめす▼7。
 まず主我は、思いつき・願望・感情・気分といった本人だけが特別な通路をもつ主観的な世界である。たとえば「気がすすまない」とか「ひらめいたぞ!」といった状態だ。生物学的衝動や本能・生理学的状態などは社会が制御できない、偶発的・非合理的な部分である。
 第二に、主我は、個性的修正をあらわす。ユニークさ・個性的な彩り・感性・個人差といったことがらであり、型どおりでない局面である。
 第三に、主我は、客我に対して働きかけ、新たなものを生みだす創発性の側面でもある。主我は自我の創造性をあらわす。人間は社会によって内面まで一方的に強制され拘束されるのではなく、そこから新しいものを生む。すなわち主我とは自己実現・自由・自発性・自律的抵抗などが生じる基盤であり源泉である。これはとくに人間が問題状況に直面したとき、それを乗り越えさせる能力となる。
 要するにミードによると、自我とは「主我と客我の対話のプロセス」である。しかも、他者との関係を大前提として成立し、本質的に社会的な過程である。しかし、まるっきり社会に絡みとられているのではない。自我は、社会を取り込む能力と、社会に個性的に反応する能力の二つが備わっているダイナミックな過程――社会性と個性のダイナミズム――なのである。
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